“丹鶴城”の異名をもつ美しき紀伊の「新宮城」! 太平洋と熊野川に面した水陸要塞址を登城レポート!

史跡探訪

熊野速玉大社で有名、和歌山県新宮市の「新宮城」

お城といえば「天守閣」を備えた建築を想像しますが、構造物が失われて石垣のみが残っている城址も、実に風情があるものですね。

荒城にてかつての栄華に思いを馳せ、幾重もの櫓がそびえた往時を想像する――。

歴史のロマンを感じるひと時です。

今回は熊野古道や熊野三山の速玉大社で有名な和歌山県新宮市の、「新宮城」についてのレポートです。

新宮城、またの名を「丹鶴城」

紀州新宮藩の本拠・新宮城

新宮城は熊野川に面した小高い山に位置しており、平地の山に築かれたいわゆる「平山城」に分類されています。

別名を「丹鶴城(たんかくじょう)」というのは、かつてこの地に住んだ「丹鶴姫」に由来しており、姫は頼朝・義経のお祖父さんにあたる「源為義」とこの地で生活をともにしたと伝わっています。

安土桃山時代には堀内氏が築城し、ついで初期の紀州統治を担った浅野幸長の家臣である浅野氏が築城を行います。

江戸時代には紀州徳川家の初代、「徳川頼宣」の附家老として紀州新宮藩主となった「水野重仲」が城主となり、以降水野氏の居城として代々受け継がれていきました。

近世の城といえば1615(慶長20)年に制定された「一国一城令」により、一つの国に一つのお城という原則がありましたがそれには例外があります。
複数の令制国を一括した行政区分で一城としたり、あるいは加賀前田氏や鳥取池田氏などのように二つ以上の城を設けることを許された大名もいます。

紀州藩は「紀伊」「伊勢」の二令制国で合計五つもの城を有していました。
紀伊徳川家の附家老は新宮藩・水野氏の他に田辺藩・安藤氏がおり、それぞれに藩主として紀伊の補佐を担っていたのです。

まるで古代遺跡!情趣あふれる石垣の重層

新宮城には、天守はおろか一つの櫓も残されておらず、石垣だけが残存している状態です。

整備されているとはいえ、ところどころ崩落して少々危険そうな箇所もありますが、まるで古代遺跡のような得も言われぬ情趣を醸し出しています。

森と一体になった石垣。
本丸付近はまるで天空の城
ピークからはかなりの高度差。
平山城の名の通り
これは熊野川岸の方から見上げた位置。
ブルーシートは崩落跡
荒々しい打ち込みハギの石垣。
この辺りは発掘によって露わになった
夕景の出丸・本丸跡を望む。
本丸跡には与謝野鉄幹の歌碑が

「水ノ手」。船着き場と物資倉庫群跡

新宮城で珍しいと思ったのは、「水ノ手」と呼ばれる設備です。

熊野川に面した立地を最大限に生かし、船着き場と物資の倉庫群を備えていたことがわかっています。

倉庫は「炭納屋」で、紀州特産の備長炭を江戸に輸送していたといいます。
熊野川河口域からすぐに太平洋に出られるという、水・海運の要として機能していました。

水際に見える一帯が「水ノ手」。
船着き場の跡も確認できる
川と直結する形の縄張り
川を渡る橋はJRの路線。
新宮城がある丹鶴山のトンネルを通過する
船着き場の石組の上から。
往時の船乗りたちも見た光景か
真ん中に見える石柱は、
綱で船を係留するためのもの

川を通じて、海に開かれた城

出丸付近から熊野川を眼下に。
神話の時代から海に向かって流れ続ける

新宮は日本神話に登場する「神武天皇」が、熊野を越えて大和に入るために上陸した地点ともされています。

熊野川を遡ると「熊野本宮大社」があり、さらに奥へと進むと吉野・大和と神話の道筋をたどることにもなります。

水陸交通の要という立地を、巧みに利用した新宮城。

本丸跡から熊野川を見晴るかし、悠久の歴史に思いを馳せるのは格別の時間ですね。
ただし、崩落しやすい箇所やガードのない高所もそこかしこにあるので、くれぐれも気を付けて訪問されてくださいね!

新宮城にはおそろしい妖怪の伝説も……?

優美な新宮城ですが、実は「あやかし」に関するちょっと怖い伝説も。

その名も「丹鶴姫(たんかくひめ)」という女妖で、夕暮れの城上に緋袴姿で現れるといいます。
その扇で招かれた子供は翌日命を落とすと伝えられ、丹鶴姫の使いである黒兎が前を横切っても同様とされています。

美しくもどこか妖しい逢魔が刻の新宮城は、異界への扉が開かれてしまうのかもしれませんね。

新宮のもののけ姫、丹鶴姫:熊野の説話
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妖怪大図鑑〜其の七拾参 丹鶴姫(たんかくひめ)
町の妖怪 怖さ:5 出没地域:新宮市  丹鶴姫は源為義の娘であり、後の鳥居禅尼で、実在の人物。丹鶴姫の住まいで

帯刀コロク:記

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