ライバル同士の武将たちも共に眠る聖地。苔むした石塔と巨樹の霊場、高野山「奥之院」をレポート!

史跡探訪

「日本国総菩提寺」、山上の聖地・高野山

「日本の総菩提寺」とも例えられる紀伊国・高野山。

標高約800mの山地におよそ120もの寺院がひしめく宗教都市としての威容を誇り、弘法大師・空海が開創した真言密教の総本山として知られています。

その中でも、空海がいまだ禅定を続けているという信仰のある「御廟」と、その参道沿いに約20万基もの石塔や供養塔が建ち並ぶ「奥之院」。

ここが高野山の信仰の中枢といっても過言ではありません。

苔むした石塔や、樹齢数百年を優に超える巨樹が佇む霊場は、神聖な空気感に満ちていて歩くだけでも心が浄化されていくかのようです。

今回は、お盆参りで高野山に上がった際に撮ってきた奥之院の写真を、ご紹介したいと思います!

石塔と巨樹の佇む霊場

「一の橋」。奥之院の正式な入口。
空海の御廟まではここからおよそ2kmの道のりです。
一の橋を渡ってすぐの参道。
高野山全体が平地よりかなり涼しいですが、ここからさらにひんやりと感じます。

沿道にはこのような石塔が無数に存在しています。
戦国武将や大名家の供養塔が、敵味方関係なく建ち並んでいますね。
写真は仙台・伊達家のもの。

この不思議な形の供養塔は「五輪塔」。
一番下の立方体から「地・水・火・風・空」を表しています。
いわゆる「五大(五輪)」で密教の宇宙観を表現した5つのエレメントのことです。
梵字ではなく漢字を刻む例も。
下から「地・水・火・風・空」の文字が読み取れますね。
歩くだけでもなんとなく厳粛な気持ちになってしまいます。
でも、とってもいい気です。
ものすごい巨樹がそこかしこに。
どれだけの時を過ごしてきたのでしょうか。
ふと見やると、そこかしこにケルンが。
無心に積み上げた人たちの祈りの跡。
石仏はいずれも大切にされ、頭巾や前掛けはいつも新しいが。
穏やかなお顔で「ようお参り」と語りかけているかのようです。
主参道から無数の枝道が分かれます。

武将や大名家の墓所も仲良く並ぶ

高野山奥之院には、たくさんの武将や大名家の供養塔が併存していることもよく知られています。

それは敵同士として戦った家中であっても関係なく、安らかに、そして仲良く眠っているようにも感じられるのが不思議です。

毛利氏墓所

毛利家墓所。
五輪塔の圧倒的な巨大さに驚愕

後北条氏墓所

北条氏墓所

徳川頼宣墓所

紀伊徳川家初代・徳川頼宣墓所

武田信玄・勝頼墓所

武田信玄・勝頼墓所

上杉謙信墓所

上杉謙信の廟

信玄と謙信が、同じ霊場に眠っていますね。

なんとも名状しがたい感慨があります。

石田三成墓所

石田三成墓所。
一心に手を合わせる方がおられました。

明智光秀墓所

明智光秀墓所。
大河ドラマ『麒麟がくる』の人気のためか、参拝者が後を絶ちません。

人気武将のお墓にはお参りする方が後を絶たず、軽く行列ができているところもありました。

光秀公の墓所も多くの人が訪れており、その人気ぶりと関心の高さがうかがえます。

高野山以外にも岐阜・滋賀・京都など、光秀公の菩提を弔う複数の寺院や塚が存在しています。

肖像画も優しげで理知的な雰囲気で、一見武将らしからぬ様子も魅力のひとつです。

浅野氏墓所

安芸浅野家墓所

豊臣氏墓所

豊臣家墓所。
敷地に対して、わびた佇まいが意外。

他にも全国の大名家の供養塔があります。

好きな武将のお墓に参ったり、石造物の銘文を丹念に読んだり、さまざまな楽しみ方が。

御廟の周囲は最奥部の聖地! 写真撮影は禁止です

弘法大師・空海は、いまもなお奥之院最奥部の御廟で、生身のまま禅定しているという信仰があります。

そのため、空海に供える食事を毎日のように運ぶといいます。

最も大切な聖地のため、御廟手前の「御廟橋」から先は撮影禁止。
高野山に限らず知らずにうっかり、ということもあるのでマナーとして心に留めておくことが必要ですね。

宗派を超えた祈りの場

高野山そのものはもちろん真言宗ですが、宗派を超えてさまざまな霊位を供養しています。

スタイルはどうあれ「祈ること」そのものにも意味があると思うので、わたしも家訓にしたがって「縁のある人もない人も、みんな安らかに眠ってください」という内容の唱え事でお勤めを終えるようにしています。

何よりも、たくさんの樹々と歴史ある石造物に囲まれた山上の散策は、とっても気持ちのよいものですね。

ぜひ一度、お参りあれ!

帯刀コロク:記

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